トップ > 古代中国の物語 古代中国の物語 部下の裏切りを許した武将 三国志に登場する天下人・曹操(そうそう)。当時の歴史をドラマチックに描いた「三国志演義」の影響から、冷酷で計算高い人物とされていますが、実は部下からの信頼が厚く、... 嫁は顔よりも性格 古代の中国の子どもが習ったという「三字経」。その儒教の教えの中に、君臣の義(ぎ)、父子の親(しん)、夫婦の順(じゅん)という三網(さんこう)が出てきます。この三つ... 罪をとがめるより更生を励ます 悪行を改めるよう、寛大な心で更生を励ますことは、良知ある人を育てることに繋がる、というお話。1900年も前の物語とされる、「元」泥棒と賢人の典故を紹介します。出典... シンプルな数学用語 発明したのは康熙帝(こうきてい) 学生時代、「数学は苦手だった!」という人も多いでしょう。でも、「二元一次方程式の解を求めよ」という問題や、「元」「次」「根(解)」という言葉は覚えているのではない... 人のことを思えばこそ 寿命を延ばした君主 春秋時代のお話です。宋という国に宋景という君主がいました。当時、この国では珍しい天象が観測され、人々は天変地異が起こるのではないかと非常に心配していました。宋景は... 魂は引き継がれていく 輪廻転生(リーインカーネーション)――肯定するにしても否定するにしても、人びとを引き付ける永遠のテーマではないでしょうか。児童精神科医でもあるアメリカ合衆国ヴァー... 【故事】人材を見るには私心を交えず 古代から現代まで、リーダーになる人には必ず敵がいるものです。でも、敵の良いところを認め、その人を重要なポストに推薦できる人というのは、滅多にいないかもしれません。... 人を誤解することは容易だが、真意を知るのは難しい 後漢の頃のお話です。廬江県(現中国安徽省合肥市)出身の毛義(もう・ぎ)と東平県(現山東省泰安市)出身の鄭均(てい・きん)は二人とも誠実で温厚な人物であると評判でし... 南宋王朝の繁栄と助け合いの精神 繁栄を極めた中国歴代王朝。その中でも、南宋の庶民の暮らしの中に文化の真髄が反映されていました。当時、周辺諸国の憧れの的だった南宋には使節団がひっきりなしに訪れ、中... どんな環境でも学ぶことを忘れない 西漢の時代、コウハ(130 BC–51 BC)という男性のお話です。コウハは政治犯として捕らえられ、獄中に繋がれながらも、決して学ぶことを忘れませんでした。「朝(... 将軍たちの因果応報 中国の史書には、無実の人を殺戮する武将が応報に遭うという話がたくさん記載されています。『明史』と『史記・李将軍列伝』から抜粋した二つの話をご紹介しましょう。 本当の師匠はだれ? 春秋時代のお話です。晋国の大夫(中国古代の官職)である伯牙(はく・が)は、琴の名人でした。彼は若い頃、成連(ちぇん・りぇん)に琴を学び、3年が経った頃、琴弾きの技... 本当の宝とは 中国の戦国時代(475–221 B.C.)の頃のお話です。ジン・ホウ(Jing Hou)という高官が魏の国の王子を訪れました。ジン・ホウは、この日のために、特別に... 知性も才能もまるでなし 大金持ちになったわけは? 清の時代、ある大金持ちがいました。彼には特に優れた知性も商才もなく、口下手でしたが、お金がどんどん入ってくるので、周りの人たちは不思議に思っていました。また、普段... 【物語】塩漬けの魚 陶侃(とうかん)という男性が、地方官として赴任していた時のことです。彼は漁業の管理をする役人でした。ある日、陶侃は人を遣わせ、地元名産の塩漬けの魚を母親の元へ届け... 【二十四孝】親孝行の漢文帝 中国前漢の時代、初代皇帝・劉邦(りゅうほう)の四男として生まれた劉恒(りゅう こう)は、親孝行で評判でした。彼は前漢の第3代皇帝(二人の漢少帝を除く)に擁立され、... 【物語】母親に尽くした男 宋という時代の頃のお話です。黄庭堅(こう・ていけん)という非常に母親思いの男がいました。彼は位の高い役人でしたが、母親の事になると、大事小事にかかわらず全て自分が... 自分に厳しい諸葛亮 自らの降格を要求 三国時代のお話です。丞相(じょうしょう)の諸葛亮は劉備の遺志を継ぎ、建興6年(西暦228年)に北伐を敢行し、魏の拠点を次々と攻め落としました。しかし、武将の馬謖(... 親孝行できぬ者は官位に就くべからず 唐の時代、李皋(りがお、733~792年)が温州に在任していた時のことです。李が視察に出かると、年配の婦人がさめざめと泣いているのを見かけました。不憫に思った李は... 項羽に立ち向かう男の子 町の人々を救う 秦の末期、項羽は激戦の末、ようやく劉邦の家臣・彭越将軍に勝ち、「外黄城(現河南省)」を攻め落としました。気性の荒い項羽は、自分に反抗した城の住民への戒めとして、1... 寛容で度量の大きい宰相 蒋琬(しょうわん) 三国時代、蜀の君主は諸葛孔明が病で亡くなると、孔明の生前の言葉に従って、蒋琬(しょう わん)を起用し、宰相に任命しました。蒋琬は仁徳を備えた寛容な人だったと言われ... 恨みに報いるに徳を以ってす 唐の時代、太宗が皇帝だったころのお話です。宦官の魚朝恩(ぎょ ・ちょうおん)は、輝かしい戦績を持つ武将・郭子儀(かく・ しぎ)に嫉妬していました。魚氏は郭氏の悪口... 【物語】舜(しゅん)の親孝行 中国の古代、舜(しゅん)というとても賢明な王様がいました。舜は幼い頃から、大変な親孝行であることで知られています。 臣下の安危を顧みないとどうなるのか 中国の春秋時代、晋の君主である文公(ぶんこう)の乗った馬車が険しい山道を通ることになりました。崖下に落ちないよう、臣下たちは文公の馬車を支えながら歩きましたが、... 【物語】親孝行の子路(しろ) 孔子の弟子の中に、子路(しろ)という弟子がいました。子路の家族は、とても貧乏で、肉と魚が食べられるのは、特別な日だけでした。その他の日は野草を食べ、お腹を満たして... 人を助けても見返りを求めなければ、福報を得る 明の時代、太倉州(現在の江蘇省太倉県)の司法官を務める顧佐(グーズオ)は思いやりがあり、正直な人でした。顧氏はかつて菓子店の主人の冤罪を晴らし、助けたことがありま... 口蜜腹剣(口では甘いことを言いながら、腹に剣を隠している) 裏切り、中傷、権力争い…陰謀の渦巻く中国の王朝には、数多くの賢人や英雄がいる一方、ずる賢い佞臣もたくさん登場します。狡猾なやり方で多くの政敵を失脚させた人物をご紹... 文広通と神仙の住む不思議な洞窟 古人曰く、「天上の一日は地上の一年」。天国とこの世の間には、時間の経ち方に大きな差があります。日本の昔話に出てくる「浦島太郎」も、戻ってきたらすでに数百年が過ぎて... 富貴な時こそ困窮の日々を思う 驕奢、放縱すべからず! 唐の時代、紀王李慎(第二代皇帝・唐太宗の十男)に楚媛(そえん)という娘がいました。楚媛が八歳の時、父親が病に伏し、楚媛は心配で食が進まなくなりました。娘の沈んだ表... 誘惑に打ち勝ち、幸運が舞い込む 昔、子供たちがこっそりいたずらをすると、「お天道さまが見ていますよ」と祖父母からたしなめられたものです。今はそのような言葉も聞かれなくなりましたが、「良いことも悪... 1 2 3 4
古代中国の物語 部下の裏切りを許した武将 三国志に登場する天下人・曹操(そうそう)。当時の歴史をドラマチックに描いた「三国志演義」の影響から、冷酷で計算高い人物とされていますが、実は部下からの信頼が厚く、... 嫁は顔よりも性格 古代の中国の子どもが習ったという「三字経」。その儒教の教えの中に、君臣の義(ぎ)、父子の親(しん)、夫婦の順(じゅん)という三網(さんこう)が出てきます。この三つ... 罪をとがめるより更生を励ます 悪行を改めるよう、寛大な心で更生を励ますことは、良知ある人を育てることに繋がる、というお話。1900年も前の物語とされる、「元」泥棒と賢人の典故を紹介します。出典... シンプルな数学用語 発明したのは康熙帝(こうきてい) 学生時代、「数学は苦手だった!」という人も多いでしょう。でも、「二元一次方程式の解を求めよ」という問題や、「元」「次」「根(解)」という言葉は覚えているのではない... 人のことを思えばこそ 寿命を延ばした君主 春秋時代のお話です。宋という国に宋景という君主がいました。当時、この国では珍しい天象が観測され、人々は天変地異が起こるのではないかと非常に心配していました。宋景は... 魂は引き継がれていく 輪廻転生(リーインカーネーション)――肯定するにしても否定するにしても、人びとを引き付ける永遠のテーマではないでしょうか。児童精神科医でもあるアメリカ合衆国ヴァー... 【故事】人材を見るには私心を交えず 古代から現代まで、リーダーになる人には必ず敵がいるものです。でも、敵の良いところを認め、その人を重要なポストに推薦できる人というのは、滅多にいないかもしれません。... 人を誤解することは容易だが、真意を知るのは難しい 後漢の頃のお話です。廬江県(現中国安徽省合肥市)出身の毛義(もう・ぎ)と東平県(現山東省泰安市)出身の鄭均(てい・きん)は二人とも誠実で温厚な人物であると評判でし... 南宋王朝の繁栄と助け合いの精神 繁栄を極めた中国歴代王朝。その中でも、南宋の庶民の暮らしの中に文化の真髄が反映されていました。当時、周辺諸国の憧れの的だった南宋には使節団がひっきりなしに訪れ、中... どんな環境でも学ぶことを忘れない 西漢の時代、コウハ(130 BC–51 BC)という男性のお話です。コウハは政治犯として捕らえられ、獄中に繋がれながらも、決して学ぶことを忘れませんでした。「朝(... 将軍たちの因果応報 中国の史書には、無実の人を殺戮する武将が応報に遭うという話がたくさん記載されています。『明史』と『史記・李将軍列伝』から抜粋した二つの話をご紹介しましょう。 本当の師匠はだれ? 春秋時代のお話です。晋国の大夫(中国古代の官職)である伯牙(はく・が)は、琴の名人でした。彼は若い頃、成連(ちぇん・りぇん)に琴を学び、3年が経った頃、琴弾きの技... 本当の宝とは 中国の戦国時代(475–221 B.C.)の頃のお話です。ジン・ホウ(Jing Hou)という高官が魏の国の王子を訪れました。ジン・ホウは、この日のために、特別に... 知性も才能もまるでなし 大金持ちになったわけは? 清の時代、ある大金持ちがいました。彼には特に優れた知性も商才もなく、口下手でしたが、お金がどんどん入ってくるので、周りの人たちは不思議に思っていました。また、普段... 【物語】塩漬けの魚 陶侃(とうかん)という男性が、地方官として赴任していた時のことです。彼は漁業の管理をする役人でした。ある日、陶侃は人を遣わせ、地元名産の塩漬けの魚を母親の元へ届け... 【二十四孝】親孝行の漢文帝 中国前漢の時代、初代皇帝・劉邦(りゅうほう)の四男として生まれた劉恒(りゅう こう)は、親孝行で評判でした。彼は前漢の第3代皇帝(二人の漢少帝を除く)に擁立され、... 【物語】母親に尽くした男 宋という時代の頃のお話です。黄庭堅(こう・ていけん)という非常に母親思いの男がいました。彼は位の高い役人でしたが、母親の事になると、大事小事にかかわらず全て自分が... 自分に厳しい諸葛亮 自らの降格を要求 三国時代のお話です。丞相(じょうしょう)の諸葛亮は劉備の遺志を継ぎ、建興6年(西暦228年)に北伐を敢行し、魏の拠点を次々と攻め落としました。しかし、武将の馬謖(... 親孝行できぬ者は官位に就くべからず 唐の時代、李皋(りがお、733~792年)が温州に在任していた時のことです。李が視察に出かると、年配の婦人がさめざめと泣いているのを見かけました。不憫に思った李は... 項羽に立ち向かう男の子 町の人々を救う 秦の末期、項羽は激戦の末、ようやく劉邦の家臣・彭越将軍に勝ち、「外黄城(現河南省)」を攻め落としました。気性の荒い項羽は、自分に反抗した城の住民への戒めとして、1... 寛容で度量の大きい宰相 蒋琬(しょうわん) 三国時代、蜀の君主は諸葛孔明が病で亡くなると、孔明の生前の言葉に従って、蒋琬(しょう わん)を起用し、宰相に任命しました。蒋琬は仁徳を備えた寛容な人だったと言われ... 恨みに報いるに徳を以ってす 唐の時代、太宗が皇帝だったころのお話です。宦官の魚朝恩(ぎょ ・ちょうおん)は、輝かしい戦績を持つ武将・郭子儀(かく・ しぎ)に嫉妬していました。魚氏は郭氏の悪口... 【物語】舜(しゅん)の親孝行 中国の古代、舜(しゅん)というとても賢明な王様がいました。舜は幼い頃から、大変な親孝行であることで知られています。 臣下の安危を顧みないとどうなるのか 中国の春秋時代、晋の君主である文公(ぶんこう)の乗った馬車が険しい山道を通ることになりました。崖下に落ちないよう、臣下たちは文公の馬車を支えながら歩きましたが、... 【物語】親孝行の子路(しろ) 孔子の弟子の中に、子路(しろ)という弟子がいました。子路の家族は、とても貧乏で、肉と魚が食べられるのは、特別な日だけでした。その他の日は野草を食べ、お腹を満たして... 人を助けても見返りを求めなければ、福報を得る 明の時代、太倉州(現在の江蘇省太倉県)の司法官を務める顧佐(グーズオ)は思いやりがあり、正直な人でした。顧氏はかつて菓子店の主人の冤罪を晴らし、助けたことがありま... 口蜜腹剣(口では甘いことを言いながら、腹に剣を隠している) 裏切り、中傷、権力争い…陰謀の渦巻く中国の王朝には、数多くの賢人や英雄がいる一方、ずる賢い佞臣もたくさん登場します。狡猾なやり方で多くの政敵を失脚させた人物をご紹... 文広通と神仙の住む不思議な洞窟 古人曰く、「天上の一日は地上の一年」。天国とこの世の間には、時間の経ち方に大きな差があります。日本の昔話に出てくる「浦島太郎」も、戻ってきたらすでに数百年が過ぎて... 富貴な時こそ困窮の日々を思う 驕奢、放縱すべからず! 唐の時代、紀王李慎(第二代皇帝・唐太宗の十男)に楚媛(そえん)という娘がいました。楚媛が八歳の時、父親が病に伏し、楚媛は心配で食が進まなくなりました。娘の沈んだ表... 誘惑に打ち勝ち、幸運が舞い込む 昔、子供たちがこっそりいたずらをすると、「お天道さまが見ていますよ」と祖父母からたしなめられたものです。今はそのような言葉も聞かれなくなりましたが、「良いことも悪...