2012年に失脚した重慶市トップの薄熙来。5年後同市トップまたもや失脚した。(Photo by Feng Li/Getty Images)
大紀元コラム

2つの重慶事件から見る習・江攻防の先行き

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 5年前と今とで、習派と江派の形勢が逆転しているという点だ。

 5年前、江派は絶大な勢力を保っていため、18大の党幹部人事にも大きく介入した。最初の重慶事件の後に重慶市委書記と公安局長に命じられたのが、江派の孫政才と何挺だったことからも、江派の影響力の大きさが分かる。

 薄熙来が失脚した2012年、重慶市書記を暫定で兼任したのは江派高官で当時の国務院副総理、張徳江だった。その後18大で張が最高指導部入りし、人民代表大会委員長に就任したため、孫政才は重慶市書記に任命された。今年初め、中紀委から「薄熙来・王立軍時代の弊害」を取り除くことに力を発揮していないと批判されているが、これは習陣営から孫に向けて発せられた警告だったとみられている。

 王立軍に替わって重慶市委公安局に任命された何挺は赴任後、張徳江の「蓋して尻拭い」方針に従い「保江派(江派を守る)」として、重慶で薄熙来や周永康、王立軍一派の肩を持ち、冤罪に問われた民間企業経営者などに対する判決の見直しに消極だった。

 過去5年間で、習主席と王岐山は反腐敗運動を推進させ、党内・政府・軍部の江派幹部を次々と失脚させてきた。その結果、習陣営は江派との争いの中で今、圧倒的優位に立っている。

 今回の重慶事件が起きた後、孫政才の後任には習主席腹心の部下、陳敏爾が指名された。

 重慶市のトップに就任した陳敏爾は、7月17日に早くも重慶市委常委会議を招集し、重慶市幹部に対し習主席の「核心的地位」を守り、「薄熙来・王立軍時代の弊害」を徹底的に取り除くよう要請した。重慶市に今も残る「薄・王時代の弊害」の背後には、江沢民や曽慶紅ら江派幹部によるクーデターと、「臓器狩り」という2つの問題があり、どれも江派にとって致命的な問題である。

 19大を秋に控え、「北戴河会議」前に起きた孫政才失脚事件はまだ終わっていない。この事件が、19大の人事編制に絡み、生死をかけた攻防を繰り返している習・江両陣営に、大きな影響を与えるのは必至だ。

(翻訳編集・島津彰浩)